最近のこと

ちょっとだけ落ち着いたので、月曜日以降の様子をお伝えします。嘘、偽りひとつもなく書きます。それがいい気がして。読みたい人だけどうぞ。精神的な暗いものが苦手な人は、読むことをおすすめ出来ません。以上です。

  • 月曜日の夜〜火曜日
  • くるりのライヴは良くて、気分良く家に帰ってきたら、悪いことが連続で重なりに重なって激鬱になった。憂鬱・イライラで眠れず、欠席してしまった。いつの間にか、生きることに必死にならなくなった自分。母親を許せなくなる。家に居ても疲れるだけになった。家出をするだけの資金も持っていなかった。
  • 水曜日
  • 母親がやらかしたことで時間を食う。そして普通だったら、時間に間に合って行けた、今何よりも大切なアーティストのライヴにも行けなくなり、1日の予定の全てが潰れ、更に鬱になる。電車に乗りながら、泣く。家に帰りながら、泣く。家に着いて更に泣く。もう何年も前から耐えていることを耐えていくのも嫌、こんな風になったのも嫌になって、ODをして首吊って死のうとするも、薬を飲んでいる途中で薬を奪われる。薬を20錠くらいを飲んでいる途中だった。

親友さんから電話が掛かってきて、話す。彼女は、何年も前からのことを知っている数少ない人のひとり。彼女も泣いていた。私も泣いていた。話が上手くまとまらないも、話す。話している私に対して、母親が「うるさい」と言った。お前の方がうるさいと思った。たくさん話して、たくさん泣いた。言葉足らずな私の代わりに、親友さんに兄と電話を代わってもらって、話してもらった。ごめんなさい。

後で兄と色々話した。生きたいと思えない、とか色々。

  • 木曜日
  • 遅刻しながらも行く。まぶたが腫れていた。そして終わったら、その日に津で行われる、水谷修先生の講演会へ母親と向かった。ロビーで水谷先生を見付けて、緊張する。本を2冊持っていたので、2冊ともにサインをしてもらった。先生は、サインをしながら「病んでるな」と少し笑いながら言った。今まで、誰もこんな風に言い当ててくれるような人は居なかった。そう言われて、泣いていた。「昨日、ODしました」と話すと、「何があった? 家か?」と言われて、家だけのことではないけれど、こくりと頷いた。「人のために何かしなさい。優しさを配ってみなさい」と先生は言って、本を渡してくれた。

水谷先生に手紙を書いている途中だったので、公演終了後に受け取ってもらえないかと聞くと、公演が終わったらすぐに横浜に戻らなくてはならないから、受け取れないので、ここに送ってきなさいと言い、先生は名刺をくれた。

父親が公演にも来る。私の隣に父親が座って、少し怖かったけれど、我慢する。これで自分の気持ちが少しだけでも伝わったらという思いだった。公演を聞きながら、また泣いた。父親は、関係ないという表情で聞いていたように感じた。

家に帰ってみて、分かった。やっぱり、関係ないという態度だった。また言葉で圧力をかけられた。反論してみろと言うので、反論すると、ばっさり真っ二つ。反論しても、意味がなかった。孤立していく感覚に陥り、頭の中は混乱をし、父親の言っていることが分からなくなった。また泣いた。心が苦しかった。はけ口が欲しかった。でも、薬は奪われたままなので、はけ口がなかった。「薬を返せ」と母親と泣きながら口論になる。薬を入れていた箱には、今までの思い出の詰まったプリクラも入っていたので、返してほしいと伝えるも、母親は怒鳴って拒否した。頭の中が真っ暗になった。何処にこの気持ちを吐き出したらいいのか分からなくて、また泣いていた。

すると、急に父親が部屋に入ってきて、いきなり私を殴り、ふっと過去に暴力を振るわれた時のフラッシュバックがきた。パニックを起こして、床に倒れ込んだままでいると、「そんなに死にたいなら死なせてやる」と、思い切り私の首を絞めた。フラッシュバックの恐怖感が抜けないままだったけれど、意識が遠のいていくのが分かって、ああやっと死ねるのだと思ったら、父親は首を絞めるのをやめた。フラッシュバックの恐怖感だけが残り、死ねなかったことに混乱していたら、ベッドに投げ付けられた。兄も部屋の中に入ってきて、「プリクラの入っとる箱だけ返したれば、ええだけのことやないか!」と父親・母親に怒鳴っていた。そして箱は返された。

そのままベッドの中で泣いていた。頭の中が混乱していた。母親には「うるさい」と怒鳴られた。何が何だか分からなかった。心が苦しかった。兄が自分の部屋から「毎回、仲裁に入るのに疲れた」とメールが送られてきた。返事を書けずに泣いていたら、またメールがきて「卒論やら自分のことで、今いっぱいいっぱいやから」と書いてあった。泣きながら、水谷先生に電話した。でも、話そうとするも、先生に「周りに優しさを配ってみなさい。いいね」と言われて、電話を切られた。

気付いたら、カッターで腕を少し切っていた。痛くなかった。薬がなかったから、カッターに代わっただけだった。はけ口が代わっただけだった。「もういいよ。リスカしたら何とかなった」とメールを送ると、兄が部屋の中に入ってきて、血溜まりになっている私の腕を見て、「お前、何やっとんのや!」と怒鳴られ、また苦しくなった。悲しくなった。そして、兄はすぐに部屋を出て、「もうこんな家なんかにおるのは嫌やわ! もうこんな家なんか、ほんま嫌やわ!」と連呼し、叫んでいた。

そして父親の部屋へ入っていったようで、兄が父親と怒鳴りあいになっている声が部屋まで聞こえてきた。「何で殴ったんや!」、「自分が産んだ子供やのに、どうでもええっていうか! どうでもええっていうんか!」と、兄が父親に対して怒鳴っていた。こうなったのも、自分が居るから全部悪いんだと思って、またカッターで腕を少し切って、ずっと泣いていた。

しばらくすると、兄の泣く声が聞こえてきた。何を話しているのかは分からなかった。でも、また兄を私のことで泣かせた。これで2度目だった。そして、兄が部屋の中に入ってきて、「お願いやで、もうODもこんなこと(リスカ)もせんといてくれ・・・お願いやで・・」と言われて、「ごめんなさいごめんなさい」と私は言い、ふたりでたくさん泣いた。今は私にとってODは、決して良いものだとは思わないけれど、心のはけ口なんだと、たどたどしいながらも話した。兄からは「おとんもおかんもばーちゃんも、お前のこと、すごく心配しとるっていうのだけは分かったってくれ・・・みんな本当にそれが不器用やけど、知っといたってくれ・・」と言われ、今はよく分からないけれど、頷いた。父親が私の部屋に急に入ってきて、殴ったりしたのは、私と母親の部屋の方から「薬」という言葉が聞こえてきたかららしい。でも、今も父親のことを許せないし、また怖くなった。フラッシュバックで、パニックになったことを忘れられない。

それから、また水谷先生に電話して、さっきの状況を話し直した。「そうか。守ってくれたお兄ちゃんに、ごめんね・ありがとうって、ちゃんと伝えなさい。いいね? それから、あなたはもう寝なさい」と言われて、「はい」と言った。兄が先生と話したがっていたので、そう伝えると、「お兄ちゃんには、落ち着いた時にまた話そうって伝えてくれるかな。今はきっと興奮しているだろうから・・」と言われて、「はい」と答え、「おやすみなさい」と言い、電話を切った。兄に「先生は、落ち着いた時に話そうって言っていたよ」と伝え、それから「こんなことしてばっかりでごめんね。ありがとう」と言ったら、また涙が出てきて、兄も泣きながら頷いていた。「もう寝ろ」と言われ、「うん」と返事をして、おやすみなさい」と言い、眠った。

今。今もはけ口は無い。人に話しても、うんざりされるだけなのは、今までに何度も経験して、疎遠にもなったりもしているので、人には話せない。話したくない。人を苦しめてまで、話したくない。人間関係を失いたくない。私は狭く深く、のタイプだから。こんな風にしか、まだ思えないし、実際にそんな感じなので、無理。

ライヴではストレス発散は出来るけれど、内面的に溜まっているものが消える訳でもないので、一時的な作用しかない。それでも、ライヴは好き。でも、ライヴだけでは駄目なのだと気付いた。何があればいいのか分からない。

傷は、大したものではないです。昨日になって、消毒しました(保健室で)。保健室の先生にあれこれ話しをさせられたけれど。えぐ。傷跡も残らないと思います。