根暗

自分は思っていること・考えていることを人に話すというのが中学2年の頃から苦手になった。あの頃、身近にいる人の誰にも言わなかった。つらいと思っていることを言っても誰も分かってくれないし、迷惑が掛かるからやめておこうと思っていた。それを心配したのか、保健室の先生は私に自分が思っていることをノートに書いてみることを薦めてくれた。私は書いてみることにした。

私は思っていることをノートに書くことで自分自身を受け止めていたのかもしれない。そうしてつらさを和らげていたのかもしれない。自分の意思表現が出来る唯一のスペースだった。暗いけれど、ノートが話し相手みたいなものだったのだろう。人に話せないから、書くことで伝えようとしていたのか。それがノートからインターネット上の日記へと場所を変え、こうして今も書いている。インターネット上の日記は、ノートに書いている時よりも文章はやわらかくして書いているけれど、ノートに書いている時とやっていることは変わらない。

書くことで意志表現することを覚えた私は、安易にもそれを人に読んでもらおうと思ったのだった。そうすれば、自分がずっと遠ざけてきた「人」を受け入れる・受け止められることが出来ると心のどこかで思ったのだろうか。文章でなら思っていることを伝えられる気がした。当時、それしかなかった。人に自分の思っていることを文章で形にして読んでもらえたらいいな→そうするには何になったら出来るのかな→そうか、作家だ。と安易に私の頭は答えを弾き出した。

丁度この頃、絵を描くことが好きで漫画家になろうと思っていたが、自分の絵の限界をずしりと感じていた。絵ではなく、文章でなら表せると思った。何故か本気でそう思っていた。絵では何も出来ないけれど、文章ではなら何か出来るはずだと。自分に対して自信などないが、文章に対しては自惚れていた。文章のほうが分かりやすいと思ったのもあるかもしれない(本当は難しいのに)。

私は文章と文章の力に依存しているのかもしれない。

人とコミュニケーションが取れなくて、書き始めた。今は少しずつではあるが、思っていることを人に話せるようになってきている、と自分では思っている。きっと話す量はまだまだ足りていない。私はまだまだ文章に頼り切っている。

妄想することは常だった。いろんなことを妄想した。もう覚えていない妄想が多いけれど、将来の自分を妄想した時のことは今でもはっきり覚えている。OLになっている自分を想像してみたが、そこにはとても退屈そうな私がいた。妄想の中にいるOLの私は自宅から会社へ、会社から自宅へと行ったり来たりするだけの毎日だった。時間に追われる毎日で好きなことをろくに出来ない生活。そんな自分が浮かんだ。それは無機質に感じて、とても怖かった。誰かのために働く自分、誰かと一緒にいる自分というものは、当時の私の頭にはなかった。

ひとりで何かをするほうが好きだし、会社でのコミュニケーションを考えたらぞっとした。ひとりで出来るもの→そうか、作家だ。私は安易に考えすぎだ。

苦手なものを遠ざけて、好きなことをしようと思った。実際、私はやらなくてはいけないことでも苦手なことはほとんど出来なかった。今は割り切っているが、それでも好きなことでないと私は何もしない気がした。奔放でわがままな自分を止められなかった。それを止めてしまったら、ひとことも思っていることを言えなくなると思った。私は本当にひとりだった。心がひとりだった。そして、ひとりでも平気だった。でも、今はひとりだと思うことが恐ろしく感じる。夜も眠れなくなってしまうほど、それはとても恐ろしい(これは少し病んでいるが)。これは一時的なものかもしれないが、今までひとりでしていたことを今ひとりですることが怖い。

作家になろうと思ったきっかけのまとめ書き(仮)。

書くことでしか人に何も伝えられない、と思った私の話。根暗だ。私の世界はとても小さくて狭い。