何かを発信するということ

やれることはやりたい、やりたいことはやりたい、見れるものは見たい、感じられるものは感じたい、触れられるものは触れたい、自分の出来る範囲のことはしたい。その気持ちは絶対に消えないけれど、自信がない。

自分が書いた文章(詩や小説)を発信していいものか、と思い始めた。書けるようにはなった。でも、まだまだ足りない。もっといいものが書きたい。今のわたしのレベルがどのくらいなのかは分からないけれど、今のままではだめだ。足りない、いろんなものが足りない。だから、発信するべきではないのではないかと思えてくる。そんな風に思えてくるけれど、結局は人の目(評価)が怖いだけだということに気付く。己の未熟さをよく分かっているから。

人それぞれの感性で、受け取り方は変わる。それは分かっている。頭では分かっているけれど、身体が動かない。動かせない。

自分の表現したものに対して疑問を持つ。「本当にこれでいいのか?」と。人の目うんぬんなんて言わずに、発信してみるだけしてみたほうがいいのだろう。でも、今それが怖い。友人と合同で文章ブログを始めておいて、こんなことを言っていては始めた意味がないか。嗚呼、何なんだこれ。

自分自身に対して自信がなさすぎるのか。わたしは自信を持ってもいい人間なのか? 持てるだけのものが備わっている気がしなくて、書いた文章を見返しては目の前が真っ暗になる。嗚呼、でも、書いた文章はわたし自身が感じたことだ。そういうものに、最初から自信も糞もなかったのか。

判断がうまく出来ない。

こういうことは文章だけではなくて、絵画や音楽やファッション…芸術関係の世界(その他にもあるだろうけれど)、自分が「表現するもの・表現したもの」に生じるものか。評価を恐れず、出来上がったものに対して一時的な感情(愛情みたいなもの?)を抱いて、公の場に広げてみるものなのかもしれない。

…怖いけれど、発信してみようか。